夜逃げ

私(林)は、国立の大学の農学部を卒業後、同期はみんな、県庁・教師・食品会社などに就職し、サラリーマンになって行きました。 そんな中、私はコックの道を選びました。 バイトをしながら新宿の調理師学校を卒業し、父親に "何も人のメシを作る商売をしなくてもいいだろう! せっかく大学出たんだから・・" という反対を無視し、調理師の免許を取得しました。 その後、場末のレストランを10軒程回り、18歳で地元に戻り、昭和58年(1983年)11月11日にピザハウス "ムサシ" を開店しました。

開店後6ヶ月間は、ろくな宣伝もしなかったこともあり、売り上げも伸びずにいました。 その頃、ランチタイムが終わる午後2時前に、週4~5回ほど山辺は来店していました。 彼は一人で来ることもあり、また作業着にペンキを着けて若者を3~4人も連れて来る時や、ある時は35歳位の女性と来ることもありました。

山辺は口ひげを生やし、若者たちと来る時はビールも飲むので、3千円も使って行ってくれます。 数回目には、店も暇なこともあり、彼と軽く会話を交わすようになりました。 彼は、ペンキ屋(山辺塗装)の親方であり、たまに連れて来る女性は、年上の奥さんであることも分かりました。 また、口ひげを生やしているので、私と同じか少し年下かと思っていましたが、なんと私より4歳も年下の25歳と知りビックリしました。(奥さんとは10歳以上年上で、子連れの再婚ということも知りました。 奥さんはなかなかの美人で、奪い取ったということを後から若い職人に聞かされました・・。) これが、私と山辺との出会いでした。

私は、"ピザハウスムサシ" 開店後、半年経って62年(1987年)5月に、幸子と結婚しました。 彼女は、開店の時から勤務の合間をぬって、店を手伝う他、開店のために資金の援助をしてくれました。 私にとって、非常に貴重な存在であったことは確かです。 彼女の助けもあり、1年後には、売上げも1日平均5万円前後を達成でき、土曜日・日曜日には10万円を行く日も少なくありませんでした。 その後、3年間で500万円の借入金の返済も終わり、貯金も500万円程になり、心身ともに充実した日を送れるようになったものです。

その頃、彼女が休日、私が翌日の仕込みを自宅へ終え戻ると、『さっき、不動産屋が来てね、隣の分譲の1軒家残っているから、600万円で買わないかって言ってきたのよ! 買わない?』と私に嬉しそうな声で言いました。 隣の田んぼの一部を埋め立てて6軒の戸建が建っていたのは、私も知っていました。 その内の1軒が残っており、営業マンが近隣を回っていたのでしょう。 土浦では相場で、土地50坪で30坪の建物なら、800万円~1,000万円の時です。 確かに600万円は安いとみるべきです。 私も一時それもいいな! "3年間頑張って来たんだし" と思ったものです。

そんな折、あずま銀行の柏支店から地元のデパート "三喜" の地下の飲食店をやってみないか? という問い合わせがありました。 このお店は浦安市の建築会社が経営をしていたのですが、人材の都合がつかないとのことで、居抜きで1,000万円でどうか? とのことでした。 45坪の大きさで、テーブルが70席と "ムサシ" の3倍弱の大きさです。 資本の不足は、あずま銀行で出すとの話です。 しかしこの場合、人が居ないというより、売上げが採算ベースにのっていないと考えるのが当たり前です。


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