夜逃げ

昭和58年12月、県信用組合の担当・伊藤が『マスター、居酒屋やりませんか? いい物件が有るんですよ。 ソープ街の外れで・・。 12坪かな。 カウンター12席でテーブルは3卓の12席ですから24人は入りますよ!』
『ああそう。 でも、今の2軒で手が一杯なにの、もい1軒となると、俺の身体がもたないよ!』と私が言うと、
伊藤は、『でも、条件いいんですよ! 開店して3ヶ月で店閉めているんです。 中は綺麗だし、300万円でどうかって言っているんです。 店の中だけでも見てみたらどうですか?』
『う~ん。 今も言ったように3軒はキツイよ。 まして飲み屋ともなると、午後9時・10時に閉めるわけいかないし・・。 少なくとも深夜の0時過ぎまではやらないとね。』
『でしたら "ムサシ" 売ればどうですか? モノレールは無いですよ。 私の知っている限り。 以前にもお聞きしましたけど、奥様がお店を離れてムサシの売上げも落ちているということですし・・。 ここは "プチムサシ" でランチと夕方までの営業で頑張っていただいて、夜は飲み屋という手も有りますよ!』
『おいおい、人のことを殺すつもりか? 朝から真夜中まで働いていたら死ぬよ、今でも十分シンドイのに!』と言うと、
『いい物件なんですけど・・、こっちの裏話すると、そのお店のオーナー、藤田という人なんですよ。 両親が、息子が余りにも働かないので1,000万円近くもお金を出して彼にお店をやらせたんですよ。 ウチからも300万円融資をしたんですけど・・。 でもご本人さんたった2ヶ月で飽きてしまいましてね。 今では開店休業ですよ・・。 親御さんも損はしょうがないと割り切っているんで、ウチからの300万円だけでも何とか回収できれば・・、ということなんですよ。 どうですか林さん? 見る価値は十分に有ると思うんですけど・・。 もし、やるというのなら、あと50万円位は安くなりますよ。』 

私は、この話には余り乗り気ではありませんでしたが、ムサシが上手く売れれば、という考えが有ったことは事実です。 とりあえず、12月の中旬に、その店を見に行く返事をしてしまいました。

店は、私がこの町で学生をやっていた頃によく飲み歩いた一画に在り、確かに伊藤の言うように、小さいながらも改装したばかりで何も手を加えなくても明日から即、開店ができる状態でした。

『10日ばかり時間くださいよ! 考えてみますから。 ただし、その時はムサシの売却が条件ですよ!』
『ええ、分かりました。 じゃあ、待ってます。』

その時、私はムサシが売れればやっても良いかなぁ・・という考えになっていました。 昼、ムサシとプチムサシの2軒みて、夜も両店ほとんど同じ時間に閉店。 プチムサシに居て、ムサシにパーティーが入ったり急に忙しくなると電話で呼び出されます。 逆にムサシに居てプチムサシの方が立て込んで来るとプチムサシに同じように急いで戻る状態でした。 店の名前は、居酒屋 "ムサシ" としました。

しかし、飲み屋ならば時間帯がある程度ダブらないし、例えダブっても2時間・3時間のことです。 そのような事を考え、翌年1月にムサシを200万円で売却し、250万円で飲み屋を居抜きで購入しました。

この居酒屋ムサシは、ソープ街の外れに在りましたが、ムサシとプチムサシのお客への宣伝もあり、茨城大学や土浦短大の学生たちも来るようになり、カラオケも置いたこともあり、また回りの店と異なり若い客の出入りする居酒屋として、それなりの利益を上げるようになりました。 そんな中に山辺も常連の一人として入っておりました。


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